スプーンを口に運びます。眉がきゅっと寄ります。それでも、もう一口。
離乳食の時間に毎日くり返されているこの小さな場面を、私たちはつい見過ごしてしまいます。けれど、ここで起きていることは、実はとても大きいこと。子どもははじめての味と出会い、大人の支えを借りながら、少しずつ「自分で食べる力」を手に入れていきます――その長い道のりの、いちばん最初の一歩を踏み出しているのです。この記事では、その一歩を支える太陽の子保育園の工夫を、自園の実践のヒントとして見ていきます。
この関わりには、名前があります。「足場かけ」――建物が完成すれば足場を外すように、ちょうどよい支えをかけ、できるようになったら外していく、という考え方です。(くわしくは、コラムで。)
東京都羽村市の太陽の子保育園は、「食育は離乳食から」を掲げ、一人ひとりの歩幅に合わせて離乳食を進めています。形態を刻み、だしの味を伝え、手づかみを見守り、そして少しずつ支えを外していきます。その営みを、「足場をかけて、外していく」という視点から見つめてみたいと思います。地味で、ささやかで、けれど確かに、子どもの自立はここから始まっています。
今回は、太陽の子保育園の給食室をたずね、管理栄養士の吉永弘美先生にお話を伺いました。だしの香りが立ちのぼる調理場、先生たちが子どもの様子をうかがいながら進む食事の時間、そして、様々な味に出会う子どもたちの姿。そこには、「ちょうどよい支え」を見極めようとする、静かな専門性が息づいていました。

支えをかけ、外し、ときに組み替えながら――。その一年あまりの道のりを、これから三つの視点でたどります。足場を「かける」、足場を「外す」、足場を「組み替える」。離乳食という、毎日の、ささやかな営みの奥にある豊かさを、ご一緒に見ていきましょう。

子どもには、ひとりでできること、支えがあればできること、まだできないことの、三つの段階があります。このまんなか――「支えがあれば、もう少しでできそう」というところに、大人がちょうどよい手助けを差し出す。これを教育心理学では「足場かけ(スキャフォールディング)」と呼びます。
足場かけのいちばん大切なところは、できるようになったら、その支えを少しずつ外していくことです。建物が完成したら、足場を外すのと同じ。支えることと、外すことは、ひとつづきの営みなのです。
離乳食は、まさにこの足場かけそのものです。形態を刻み、量を加減し、関わり方を工夫して、子どもの「もう少しでできそう」に支えを差し出す。そして、できるようになったら、少しずつ手を引いていく。その先にあるのは、支えなしで「自分で食べる力」です。(この考え方は、心理学者ヴィゴツキーの理論をもとに広まったものです。)

- 所在地
- 東京都羽村市五ノ神 3-15-7
- URL
- https://taiyonoko.sunshine.ed.jp
- 個性豊かな子ども
- 情緒豊かな子ども
- 思いやりのある子ども
- 何事にも挑戦できる子ども
- 主体性・自主性のある子ども
- 自分の意思をはっきり伝えられる子ども
第1章足場を「かける」

太陽の子保育園の給食室では、同じ「後期食」でも、お皿の中身が一人ひとり違います。スティック野菜を太めに盛られる子もいれば、同じ野菜をやわらかく煮て、和えものにしてもらう子もいる。
足場かけは、どんな支えでも当てればいいというものではありません。子どもが「もう少しでできそう」なところに、ちょうどよい高さの足場を差し出してこそ、意味があります。そして、その「ちょうどよさ」は、目の前の子どもの発達を正しく読めて、はじめて決まります。あのお皿の違いは、その「読み」の表れなのです。
なぜ、離乳食からなのか
吉永先生が「離乳食」にたどり着いたのには、理由がありました。先生は、学校給食で小・中学生の食事に携わった経験を持つ栄養士です。そこで直面したのが、すでにできあがった味覚を変えることの難しさでした。保育園に移ってからも、年齢が高い子ほど、食の好みは固まっている。さかのぼっていくと、いきつくのは離乳期でした。「三つ子の魂百まで、というのは、食についてもその通りなんです」。人生のいちばん最初の食の経験が、その後の食を方向づけていく。だからこそ、離乳食を食育のスタートに据える――その確信が、この園の出発点にあります。
中期・後期は、“ゴールデンタイム”

なかでも先生が「ここがいちばん大切」と語るのが、離乳食の中期から後期にかけての時期です。この時期に、どれだけ多様な食材に出会い、どれだけ噛む力を育てるか。それが、将来の「食べられるものの幅」「好き嫌いの少なさ」に影響しやすい。だから太陽の子保育園では、この時期をいわば食育の黄金期ととらえ、ひとつの形態を、獲得できるまでじっくりと引っぱります。とはいえ、この時期を逃したら取り返しがつかない、という話ではありません。月齢で機械的に進めるのではなく、その子が確かに食べられるようになるまで、必要なだけ時間をかける。「離乳食が大事」という言葉は、口に出さなくても、太陽の子保育園では、職員みんなの共通認識になっているといいます。
目安表は、発達の地図
その「ちょうどよさ」を支えているのが、発達を細やかに見つめる目です。園が作成している「進め方の目安表」を見せていただくと、月齢ではなく、子どもの「食べる機能」を軸に段階が組まれていることがわかります。舌で飲み込む、舌でつぶす、歯ぐきでカミカミする――口の育ちのひとつひとつに合わせて、食事の形態も、量も、一段ずつ階段が設計されているのです。(巻末に最新の目安表を掲載しています。)
おもしろいのは、これほど精密な目安を持ちながら、その通りには進めない、ということです。先生は言います。「あくまでも、目安です」。表は、子ども一般の育ちを描いた地図にすぎません。実際にどの段にいるかは、目の前のその子が食べる様子――噛み方、飲みこみ方、食べる量――を見て、保育士と相談しながら決めていく。急に段を上げることはせず、少しずつ進めていく。一見、矛盾するようですが、これは逆なのです。精密な地図があるからこそ、その子が地図のどこにいるかを正確に読みとれて、一人ひとりに合わせた進め方ができる。基準があいまいなままでは、むしろ個別対応はできません。
たとえば、同じ「後期食」の子でも、お皿の中身は一人ひとり違います。かじりとりを練習している子には、スティック状の野菜を細めと太め、両方を多めに。けれど、まだ噛む力が育ちきっていない子には、同じきゅうりや人参も、やわらかく茹でて小さく切り、和えものにして。指先でつまむのが上手な子には、つまみやすい大きさにそろえて。同じ段にいるように見えても、その子の「いま」に合わせて、かたさも大きさも細やかに変えていく。一枚の目安表の先に、これだけのきめ細かさが広がっているのです。

同じ後期食でも、その子の「いま」に合わせて、中身は変わります。
左は、かじりとりを練習している子の一皿。スティック野菜を細め・太め多めに。ただし噛む力に合わせ、きゅうりや人参はやわらかく茹でて甘酢和えに。
右は、つまみ食べがすっかり上手になった子の一皿。ぜんぶ自分でつまんで食べられるように、きゅうりも人参も、つまみやすい大きさに切って、和えものに。
同じ「後期食」という名前でも、お皿の中身は、一人ひとり違うのです。
食べることに、向き合える場所

足場は、食べ物だけにかけるものではありません。子どもが「自分で食べる」という大仕事に集中できるよう、その場の環境にも、こまやかな支えが差し出されています。
椅子は、その子の体に合った高さのものを使います。足が安定すると、体に力が入り、食べることに気持ちを向けられるからです。食事のときは、壁に余計なものを貼らず、カーテンを閉める。視界から気の散るものを遠ざけて、いま目の前の一皿に、まっすぐ向き合えるようにしています。そして何より、急がせない。その子のペースを尊重し、やさしい声をかけながら、楽しい雰囲気のなかで食卓を囲みます。まず見直すなら、椅子から――足の裏が床や足置きにきちんとついているか。掲示物など視界に入るもの、そして急かさず待てているか。どれかひとつ、明日の食事の時間に確かめてみてください。
もうひとつ、見落とされがちな、けれど大切な足場があります。「お腹がすく」という、食べる意欲そのものを育てる工夫です。太陽の子保育園では、離乳食の時間も一斉には決めず、一人ひとりの授乳や離乳のリズムに合わせます。そして、食事の前には、しっかりと体を動かして遊ぶ。取材にうかがった日も、子どもたちは離乳食の前に、水あそびに夢中になっていました。よく遊んで、しっかりお腹をすかせる。「食べたい」という気持ちは、こうして一日の暮らしのなかで、ていねいに準備されているのです。
あえて固く、あえて大きく
支えの方向は決まっていません。たとえば、自分で持って食べたいという意欲が出てきた子には、トーストをカリカリに焼いて、手に持てるようにしてあげる。まだ上手にかじりとれない子でも、歯ぐきで「カミカミ」する刺激を感じられたり、大きく切ることでかえって口に詰めこみすぎるのを防げたりする。やわらかく、小さくするだけが支えではない。ときには「あえて固く、あえて大きく」差し出すことが、その子の「もう少しでできそう」を引き出す足場になる。先生たちは、子どもが食べる様子をそばで見ながら、その見極めを毎日くり返しています。自園で取り入れるなら、初めての形態は少量から。固く・大きくは、誤嚥のリスクと隣り合わせの工夫でもあります。だからこそ、保育士と食べる様子を共有しながら、「見ながら試す」ことが前提になります。
最初の一さじは、だし

そして、この園の足場には、いちばん土台のところに「だし」があります。離乳食の野菜は、昆布のだしでやさしく煮る。調味料を使わなくても、だしのうま味があれば、素材そのものの甘みやおいしさが引き立ちます。「うす味でも、おいしい」。その感覚に小さなうちから慣れていくことが、うす味を好む味覚の土台になっていく。昆布のうま味のもとであるグルタミン酸は、実は母乳やミルクにも含まれていて、赤ちゃんにとっては慣れ親しんだ味に近い。だから、はじめての離乳食でも、すんなり受け入れられるのだといいます。やがて後期から完了期にかけて、青魚を食べられる時期になると、かつおや煮干しのだしも加わって、味の世界はもう一段ひろがっていきます。
いちばん最初の一さじに、何を選ぶか。太陽の子保育園は、そこに「だし」を選びました。それは、味覚という、一生つきあっていく感覚の土台に、ていねいに差し出された、最初の足場なのです。
第2章足場を「外す」
足場かけのいちばん難しいところは、かけることではなく、外していくことにあります。早く外しすぎれば子どもは転び、いつまでも残せば、自分でやる力が育たない。できるようになったら、少しずつ支えを引いていく。けれど太陽の子保育園の食事の時間を見せていただいて、その「引く」という言葉が、少し違っていたことに気づきました。
見守るという、支え

離乳食のクラスは、穏やかな空気に包まれていました。あそびの空間とも、午睡の空間とも仕切られた一角で、子どもは先生と向き合い、食べることに気持ちを向けています。よけいな刺激を遠ざけたその場所で、ひとりの子が、目の前の器をじっと見ています。目で見て、選んで、手を伸ばし、つかみ、ゆっくりと口元へ運ぶ。口に入れ、噛んで、飲み込む。その一連を、先生はやさしく微笑みながら見守り、「あむあむ」「おいしいね」と、やわらかく、テンポよく声を添えていきます。その声にうなずくように、子どもはまた次の一口へ向かっていきました。急かす様子も、必要以上に手を出す様子もありません。けれど、ほうっておいているのとも違う。子どものしぐさひとつ、ちいさな声ひとつに先生は応えていく。「見守る」というのは、何もしないことではないのだと、その光景が教えてくれました。
こぼすのは、当たり前
この「見守る」という関わりには、肩に力が入っていません。保育士さんに、子どもが自分で食べるのをじっと見守るのは大変ではないか、と尋ねてみると、待っているという感覚そのものが、あまりないようでした。子どもが自分で食べること、こぼすこと、時間がかかること――それは我慢して耐えるものではなく、あって当たり前の、いつもの風景なのです。その「当たり前」は、見えないところにちゃんと支えを忍ばせています。たとえば、こぼすこと。子どもは上手に食べられませんから、当然こぼします。だから先生たちは、こぼす分まで見込んで、最初から十分な量を盛っておく。その子が、その子のペースで、自分の手で食べきれるように。崩れやすい豆腐のような食材も、つまみにくいからと避けるのではなく、くり返し出します。最初はうまくつかめなかった豆腐を、力かげんを覚えて、そっとつかめるようになっていく――その小さな上達も、こぼすことを許された食卓があってこそ、生まれてくるものです。
手づかみが、育てるもの

手づかみ食べも、同じ考え方の上にあります。手で触れて、かたさや感触を知り、自分で口へ運ぶ。その経験が、食べることへの意欲を育て、やがてスプーンへと自然に移っていく土台になります。「ご家庭では、汚れるのでなかなかさせてあげにくい。だからこそ園では、どんどん手づかみをさせています」。昼食はもちろん、午前や午後のおやつも、手で持って食べられるものを選ぶ。保育園の一日は、いつでも「自分で食べる」練習の時間なのです。
もちろん、外せばいい、任せればいい、という単純な話ではありません。あるとき、カリカリが好きだという子に、こんがりとよく焼いたパンを出してみたところ、噛むのに疲れてしまって、最後まで食べきれなかったことがあったといいます。次は、少しやわらかめに焼いて出す。子どもの食べる機能の育ちを見ながら、支えの高さを、その都度かけ替えていく。外すことと、支えること。そのあいだの、ちょうどよい一点を、先生たちは毎日さがしています。

離乳食の時間、子どもたちは、毎日たくさんの「はじめて」に出会っています。なかでも見ていておもしろいのが、はじめての酸っぱい味、苦い味に出会ったときの、くるくると変わる表情です。
実は、酸味や苦味を警戒するのは、子どもの本能です。自然界では、酸っぱさは「傷んでいるかもしれない」、苦さは「毒かもしれない」のサイン。だから赤ちゃんは、はじめての酸味に、きゅっと顔をしかめ、ときには口から出してしまいます。これは、わがままでも好き嫌いでもなく、体を守るための、ちゃんとした反応なのです。
だからこそ、太陽の子保育園は、急ぎません。酸味なら、いきなり強いものではなく、旬の、ほどよく甘酸っぱい果物から。中期のころに、一さじずつ。何度もくり返し出会ううちに、子どもは「これは、食べても大丈夫」と少しずつ覚えていきます。苦い野菜も同じで、食べやすく調理したものから、ゆっくりと。「みんなが、おいしいねって食べている」――その場の空気も、子どもの背中を押してくれます。
くり返し出会い、そのたびに「大丈夫だった」を積み重ねて、子どものなかに「食べられる味の地図」が、少しずつ広がっていく。眉をひそめ、もぐもぐと確かめ、ふっと表情がゆるむ――あの何気ない百面相は、実は、味覚の世界がひとつ広がった瞬間の記録なのです。
第3章足場を「組み替える」
足場は、一度かけたら終わり、というものではありません。子どもの育ちに合わせて、当て方を変え、ときに少し戻し、また外していく。この絶え間ない「組み替え」こそが、足場かけを生きたものにします。太陽の子保育園を訪ねて見えてきたのは、その組み替えが、二つの方向で起きているということでした。
みんなの目で、支える

ひとつは、支える人たちのあいだでの組み替えです。離乳食の時間には、栄養士が食事の様子を見にいきます。そこで気づいたことは、クラス会議やリーダー会で、保育士や調理員と共有される。「この子は最近、こういう食べ方をする」「では、次はこう出してみよう」。栄養士、調理員、保育士――それぞれの目が持ち寄られて、ひとりの子への支えの当て方が、少しずつ調整されていきます。離乳食は、複数の手で作り、複数の目で見守るもの。だからこそ、計画と気づきを分かち合うことが欠かせないのです。
もうひとつは、支える「中身」そのものの組み替えです。離乳食から幼児食へ――その移り変わりは、ある日きっぱりと切り替わるものではありません。食べさせてもらう段階から、少し手伝ってもらう段階へ。やがて、最後のひと口だけ手を添えてもらう段階を経て、自分で食べられるよう、見守られる段階へ。支え方は、こうして少しずつかけ替えられていきます。そして、その移り変わるタイミングには、大きな個人差がある。だから先生たちは、食器を変えるのも、食材の切り方を変えるのも、その子その子の様子を見ながら決めていきます。
スプーンへの移り変わりにも、その子のペースが大切にされています。手づかみが十分に上手になってから、スプーンを持たせる。最初は午後のおやつのときに、少しずつ。手づかみがまだでも、スプーンを持ちたがる子には、にぎりやすいシリコン製のものをそっと手わたします。持っているだけで、満足する子も多いのだそうです。「自分でやりたい」という気持ちが芽生えたら、その芽を、つぶさずに支える。次の足場は、できるようになったから差し出すだけでなく、やりたくなったから差し出すこともあるのです。
この移り変わりを、もう少し大きな目で見ると、支えている対象そのものが移っていくことに気づきます。離乳食のはじめは、「噛む」「飲み込む」という、体の機能を支えることが中心でした。それがやがて、「自分で食べたい」「これを選びたい」という、心の育ちを支えることへと移っていく。体への足場から、心への足場へ。手づかみを見守るのも、急かさないのも、その子の「自分でやりたい」という気持ちに、そっと足場をかけているということなのです。
見極められるのは、見続けてきたから
では、いつ次の段へ進めるのか。その見極めの拠りどころは、月齢でも、暦でもありません。「食べる機能の発達」です。奥歯の生えぐあい、噛む力、飲み込む様子――子どもの体が、次の段階の準備ができているかどうかを、ていねいに読みとっていく。離乳食の「完了」も、一斉に切り替える日があるわけではなく、この機能の育ちを見て、一人ひとり判断されます。
ここに、管理栄養士である吉永弘美先生の、いちばんの強さがあるように思いました。発達を読みとり、評価し、ちょうどよく支えをかけ替える――それができるのは、たくさんの子どもたちの育ちを、25年にわたって見つめてきたからです。そして何より、目の前のこの子の成長を、毎日、見つづけているから。一日の食事の様子、昨日との違い、先週からの育ち。その積み重ねの上にしか、「いま、この子のちょうどよい一段」は見えてきません。足場かけのいちばん難しい「見極め」を支えているのは、特別な技術ではなく、長い年月と、毎日のまなざしの、地道な連なりなのでした。
まとめ離乳食から始まる、自立の物語
取材の終わりに、ひとつだけ、答えの出ない問いを吉永先生にぶつけてみました。「先生にとって、子どもの食の『自立』は、いつ訪れるのでしょうか」。先生は、ひとつずつ確かめるように話してくれました。お腹がすくリズムが整うこと。食べたいもの、好きなものが増えること。一緒に食べたい人がいると気づくこと。食事の準備に関わること。作ってくれた人へ、感謝の気持ちがめばえること。――食の自立は、ある日とつぜん完成するものではなく、こうした小さな育ちが、何年もかけて積み重なっていくものなのでしょう。
だから先生は、卒園までに「自分で食べるものを選べる子」になることまでは、求めていないと言います。まず育てたいのは、「食べたいものがある」「食べることが楽しい」という、まっすぐな気持ち。三色食品群のような知識を教えこむことよりも、いろいろな食材に出会い、いろいろな味を知ること。その土台があってこそ、知識はあとから根を張ります。「ゆくゆくは、自分の体のために、いいものを選んで作って食べられるようになる。そこまでいけたら、それが食の自立だと思うんです」。
その長い道のりは、まっすぐ一本道ではありません。離乳食のころはなんでもよく食べていた子が、いやいや期になると、ぱたりと食べなくなる。けれど幼児クラスにあがると、またなんでも食べられるようになる――そんな子を、先生は何人も見てきたと言います。育ちは、行きつ戻りつ。足場は、外すだけでなく、ときに少し戻され、また外されていく。そのくり返しの先に、自分で食べる力は、ゆっくりと手わたされていきます。
考えてみれば、離乳食の期間は、ほんとうに短いものです。長い子育ての、ほんの入り口にすぎません。けれど太陽の子保育園は、その短い入り口を、いちばんていねいに見つめています。なぜなら、ここが、すべてのはじまりだからです。はじめての味、はじめての手づかみ、はじめて自分で食べきれた一皿。その一つひとつが、何年も先の「自分で食べる力」へと続く、最初の一段になっていく。
スプーンに寄せた眉。こぼれた手づかみ。はじめての味への、百面相。毎日くり返される、ささやかで、地味なその場面のなかで、子どもたちは確かに、自立への一歩を踏み出しています。「食育は離乳食から」――太陽の子保育園のこの言葉は、いちばん地味で、いちばん大切な最初の足場を、ていねいにかけようとする宣言なのだと思います。
支えすぎず、放りすぎず。ちょうどよい足場をかけ、上手にかけ替えていく。その先に、子どもの本当の自立が待っています。その長い物語の、いちばん最初の一さじを、太陽の子保育園は、今日もていねいに差し出しています。

足場をかける相手は、子どもだけではありません。太陽の子保育園は、家庭にもそっと足場を差し出しています。
離乳食の情報は、いまや世の中にあふれています。けれど、情報が多すぎることが、かえって保護者を迷わせてしまう。「この月齢では、こうしなければ」と、追い立てられるように感じている保護者も少なくありません。だから先生たちは、写真つきの資料で食事の形や大きさを「見える化」し、家庭でも「これならできそう」と思えるように伝えています。月齢に縛られすぎず、その家庭のペースで。「がんばりすぎなくて、いいんですよ」――その一言が、肩の力をそっと抜いてくれます。
いま吉永先生が力を注いでいるのが、地域との連携です。同じ羽村市のなかでも、保育園や保健センター、外部の講師によって、離乳食の伝え方にちがいがあり、保護者が戸惑うことがありました。そこで、三年ほどの時間をかけて、たがいに情報を交換し、伝えることの足並みをそろえようとしています。一人ひとりちがう子どもたちですから、まったく同じにはできません。それでも、保護者が安心してこの時期を越えていけるように――地域ぐるみで、家庭に足場をかけていく。その視野の広さに、深く感心させられました。
1「もうすぐごはんだよ」。お腹がすいて、ちょっぴりグズグズ。先生が抱っこをして、ごはんの準備の様子を見せながら、「ちょっとまっててね」「手を洗おうね」。
泣いてもすぐ食べさせず、抱っこで準備の様子を見せ、「まっててね」と見通しを言葉にしてから食卓へ。
2席について前掛けをつけたら「いただきます」。まずは水分補給から。鼻の部分が開いた透明コップを使います。
鼻の部分が開いたコップなら、あごを上げずに飲めて、姿勢が崩れません。
3お皿の中をしっかり見て、手づかみ食べをスタート。「どれにしようかな」。自分の手が、いちばん最初の食具です。
たくさん口に運んでしまう子には、小皿で少しずつ。その子に合わせて出し方を変えます。
4「じょうず〜」「つまめたね」。食べ物のかたさに合わせて、指先で上手につかみます。
先生は手を出さず、「つまめたね」と、できた動きをそのまま言葉にして返します。
5先生の手元をチラッと見て、同じように持って、口元へ運びます。
先生は子どもの正面で、ゆっくり口へ運ぶ動きをやって見せます。
6あむあむ、もぐもぐ、ごっくん。だれにも急かされず、自分のペースで味わいます。
飲み込むまで次のひと口は差し出さず、口の動きが止まってから声をかけます。
7「ごはんもたべようね」「はい、あ〜ん」。手づかみの合間に、しっかり主食(ごはん)も。
手づかみは子どもに任せ、主食は先生がスプーンで補う――役割を分けて量を確保します。
8「おいしいね」「いっぱいたべたね」。先生のやさしい言葉かけに反応しながら、楽しく食べ進めます。
声かけは短く、「おいしいね」は飲み込んだあとのタイミングで。
9スプーンで食べる練習も、しっかりします。手づかみ食べが上手になってから、スプーンを持たせています。
スプーンは、おやつ(補食)のときから少しずつ取り入れ、徐々に移行していきます。自分の手から、道具へ。支えがそっとかけ替わる瞬間です。
10食事の終盤、同じ月齢のお友だちの食事がスタート。「いっしょにたべるとおいしいね」。
朝のミルクや午前のおやつの様子を見て、食べ始める順番を決めています。一緒に食べる喜びも、大切な経験です。
一枚の献立表の裏側には、給食室の、ていねいな段取りがあります。太陽の子保育園では、離乳食で出会った食材を土台に、幼児食の献立を組み立てていきます。離乳期に「食べ慣れた」ものが、幼児食でもくり返し登場する。その積み重ねが、子どもの「安心して食べられる」を育てていくのです。
まず、2週間の“サイクル”を決める
献立づくりは、主食(ごはん・麺・パン)と、主菜(魚・豚肉・鶏肉+大豆製品)の組み合わせを、2週間のサイクルで決めるところから始まります。同じ食材が、少し形を変えながら、くり返し登場する。これがいわゆる「サイクルメニュー」です。くり返すことには、はっきりとした意味があります。子どもは、はじめての食材には慎重ですが、何度も出会ううちに「これは食べても大丈夫」と覚えていきます。食べ慣れることが、安心して食べられることにつながり、やがて「好き」になっていく。サイクルメニューは、その「食べ慣れる」を、計画的に支えるしくみなのです。
季節と、和食と、組み合わせの工夫
サイクルという土台の上に、季節の食材を合わせていきます。和食は、週に2回を目標に。午後のおやつは、米(米粉)・小麦・パン・芋・その他(ゼリーやヨーグルトなど)から選び、昼に小麦粉の料理が出た日は午後は米や芋に、というように、一日のなかで食材がかさならないよう組み合わせます。
そして、いろいろな料理を知ることで、味覚の幅が広がっていく。ひと月のなかに多彩なメニューを取り入れるのは、子どものためであると同時に、「作る側も飽きないように」という、現場のささやかな工夫でもあります。
離乳食に、幼児食を合わせる
ここがいちばん大切なところです。献立は、幼児食を先に決めて離乳食を後から合わせるのではありません。逆です。離乳食の食材を先に決め、それに合わせて、幼児食の献立を組んでいく。離乳期の食経験を、いちばんの土台に置いているのです。連日、同じ食材がつづかないようにしながら、離乳食の歩みに、園全体の食卓を寄り添わせていく。離乳食と幼児食が地続きであることが、この一枚の献立表に、しっかりと表れています。































